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家系図の家

一族の歴史を風景として立ち上げた家

3層のフレーム
中間の格子の層は構造体の柱・梁であり、建物全体とガラススクリーンを支えるフレームである。次に建物外側の格子の層は、保護膜としてのネットを支持するものであり、強度を高めるブレースとしても機能する。このネットはガラススクリーンへの衝突から野鳥を保護すると共に、霧や雨から構造体を保護する。それはまた、室内側にたいして、直射日光や道路側からの直視を緩和するフィルターである。そして第3 の層である室内側の格子の層は、ギャラリーのための木枠の設備である。

建物概要
用途:住宅
延床面積:90.65㎡(1階建)
構造:木造在来軸組構法
施工:
設計:芳賀沼整+加治大輔
総工費:

外観。

リビングよりキッチン方向を見る。

増築されたギャラリー。ここでは、壁は白壁として立ち上げ、格子の層を天井に設けている。光天井となり、自然光の行き渡るホワイトキューブのギャラリーである。

リビングより山中湖を望む。

リビング。

書斎スペース。

建物と山中湖と富士山。

配置と家系図のベクトル

 

設計コンセプト
江戸中期に最も盛んになった富士登山の歴史は施主一族の歴史とも重なってくる。参道に沿った北口本宮富士浅間神社横に居を構え、今は人影もなくなった富士登山一合目の山小屋も施主の持ち物であり、押野八海、山中湖周辺にも点在した土地を所有している。一族の総領息子である施主は、祖父死去後の財産を処分をきっかけに住居の移転を計画した。戦前から、登山口までの客を運ぶバス会社を母体としていたが、実体は別な業種となり、起業時の神社奥にある土地も広すぎるゆえに処分される事になった。
いくつかの候補地があげられ数年の間見て回ったが、しがらみを断ち切り生活したいと考える施主の気持ちは、富士吉田近辺や忍野村の喧騒から離れて生活したいと考えるようになった。山中湖畔に面したこの敷地は国立公園内でも最も規制の厳しい自然が残る地域であった。数年に一度の割合で湖面が凍り、岸近くまで氷が押し寄せる事がある。膨張しひび割れながらも厚みを増し、まるでクモの巣のように見える事がある。張り巡らせた線が家系図の様に見えた。そしてこの場所に「家系図の家」としての構想が始まった。
林を切り開き、更地に家を建てる事は新しい行為と考えられる。しかし自宅の建築は彼にとっての存在証明であり、受け継ぐ者だけが背負う、回避できない、見えない重圧の納めどころであると考えた。土地や家は一般的に不動産と考えられるが、時として現実に存在しない、心のよりどころを作り出す事もできる。湖周辺にはしる線と線の交点はいくつもの起点をつくりだす。所有権を表す境界線が現世のしがらみと解釈したら、起点を結ぶベクトルは生まれ繋がれた一族の存続の証と考える事にした。ここで解析方法に詳しい加治を供に設計者として迎え入れることになった。

 

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