前を向く、弱いもの同志の連携

僕たちは、福島県南会津町で芳賀沼整さんを始め10人近くのメンバーで建築設計事務所をやっている。

こんな田舎に「よそ者」が10人集まり、設計事務所をやっていれば、そりゃ、いろいろと色眼鏡で見られる。なんで田舎でやってるの、怪しい集団、おまえら大丈夫かといった具合である。

僕たちは「地域に根ざした」ローカルアーキテクトなのだろうか。一方的に活動範囲を限定された言葉だとも感じられる。どっぷりと南会津につかっているわけでもない。東京での仕事もあるが、あちこちの地方へといく。縮小する地方の問題は、全国に共通していることでもあり、地方から地方へと渡り合うことでもある。僕たちが集まるのは、その生身の体験にやりがい感があるからである。

学生気分が残る僕たちは、デザインだけではなく、建築の向こうの社会問題に向き合いたいという気持ちがふつふつと沸いてくる。こんな気持ちになるのは、大学の都市分析学研究室で、計画学、社会学の一面をみたからなのかもしれない。

そして7年前の東日本大震災。2011年3月、僕たちは被災した施主の家を駆け巡っていた。震災状況を感じたある日の夜、南会津の事務所で、これからは、社会のために活動しようということを改めて話し合った。

設計という仕事をしながら、ばたばたと、もがきながら活動をし、建築活動へとつなげていくのである。

 

①木造仮設住宅群の活動と再利用


2011年4月。福島県での応急仮設住宅の公募にチームとして参加し、約600戸のログハウスによる木造仮設住宅群の設計に携わった。連日連夜、郡山の臨時事務所に泊まり込んでの作業である。配置計画から始まり、従来のプレハブ仮設とは異なる集落的な配置が実現にいたった。構法的にも工夫し、プレハブ仮設と同じ工期での施工も可能になるようになった。

五十嵐太郎先生の研究室とも共同し、南相馬に壁画と塔ある集会所も実現した。ここでは他の住宅団地とは又違ったコミュニティが育まれている。チームとしても走り続けた1年だった。

当時「木造仮設住宅にはリユースのシステムがない」(※2012-07-20建築雑誌)というプレハブメーカーの方の対談が掲載された。しかし、木造仮設住宅は、「木造仮設住宅」としてリユースするのではなく、「木造仮設住宅」からコンバージョン(用途変更)し、復興住宅や、事務所、福祉施設として被災地に資産として残るところに強みがあるのではないかと考えている。

そして僕たちは、震災から7年経った現在、木造仮設住宅のコンバージョンにおける活動を積極的に行ない、計50戸を超えるほどのログハウス仮設やその他タイプの再利用に関わっている。再利用することで、木造仮設住宅の新しい流れができている。

木造仮設住宅の再利用の話が持ち上がった当初、社長である僕は、採算性の合わないものは止めようとしていた。周りの人たちも当時の現状をみて、使われていない建物は、うまくいっていないと判断する。それは至極合理的な判断だ。ところが芳賀沼は、より先へ先へ道を切り開こうとする。すると周りが動き始めて、採算性もなんとかなり、一つの動きとなっていった。

復興活動の局面において、よくこういったことがあり、道を切り開くことについては、今もなお考えさせられる。建築活動で社会を変える仕掛け人となりうることもできるのである。

→木造仮設住宅の再利用

②原発避難における2地域居住の提案


震災直後、今後の福島県の状況について誰しもが予測がつかず、住み方についての提案を模索していた時があった。新聞の記事では、現実感のない集団移住する仮の町を建設するという構想も掲載された。そんな中、2地域居住というスタイルで行ったり来たりしながら、10年〜15年かけて元の土地に戻ることをサポートするのが良いのではないかという提案をしていた。都市分析研究室におけるネットワーク居住の研究を、原発避難のモデルとして組み直なおせないかというものである。避難地域が解除された今、2地域居住は、これからの提案課題になるかもしれない。

 

③縦ログ構法の開発

→縦ログ構法
木造仮設住宅群の活動で飛び火したものの一つに、縦ログ構法というものがある。無垢材の杉の柱を縦に並べてパネル化する単純な工法である。CLTと同等に近い性能のものを、大きな工場のない地場の大工さんで作ってしまおうというものである。

もともとは、震災当初に仮設住宅に採用しようとしたが、実績がないため断念した。2011年5月。大学の先輩からお話をいただき、支援のため釜石に集会所をつくることになった。その時、難波和彦氏に協力をお願いし、縦ログ構法による集会所を共同設計することになった。

震災直後は現場での作業が少ないというパネル構法の利点を活かすことが重視された。その後、地元零細工務店での加工が可能であることから、林業地域再生の鍵となるということでも重宝されている。構法を通して、地域支援をするという姿勢は、難波さんから教えていただいたことである。

木を大量に使うという発想は、南会津地域の林業状況から生まれてきたところもある。積雪による枝折れ、飛び腐れにより、高い価値で売れない木が多くある。CLTでラミナ材にすると、検査等で跳ねられるため実際は原木の30%くらいの利用率である。

これでは、林業をやっている人たちは面白くない。戦後、利益が出るからと南会津に大量に植えられた杉は、今の林業のシステムの中では、全く売れないし、活かしきれていないのである。縦ログ構法は、この杉を救うものでもある。

いくつかの試行のあと、縦ログ構法の普及・開発に向けて力を入れ始めることになる。秋田県立大学の板垣直行先生にも協力をお願いし、難波和彦氏、はりゅうウッドスタジオ、日本大学の浦部浦部智義先生を中心に縦ログ構造壁実験構法研究会を設立することになる。

材料実験は大学以来である。(それも板垣先生のコンクリートの授業だった)その中で様々な工夫を行い、現在では壁倍率相当4.7倍、準耐火性能、中大規模の建物に使える縦ログパネルをつくることができた。

縦ログ構法による建物では、自宅「はりゅうの箱」を設計し(芳賀沼整、滑田光と共同設計 難波和彦監修)では、賞をいただくこともできた。

また構法としても、オープンソースとしたことで、南会津だけでなく、全国から問い合わせが少しずつでてくるようになった。やはり、地方の問題はどこか共通している。同じように森を持つ地域から、CLTとまた違った森林利用の構法として認知され、広まりつつある。

→はりゅうの箱

●最後に

これらの活動は、それぞれ、できることを考えながら走り続けたことで生まれたものである。これからは、デザイン一辺倒では太刀打ちできない時代でもあり、特にデザインにお金が支払われない全国の地方においては、様々なアプローチが必要となってくる。また建築工学的アプローチを学んだ人間が、縮小化する地方には必要な人材であり、足りていない。

もし、進路に悩む学生(僕自身も)がいた時に、地方では求められているということ、大学での教育環境は、しぶとく生きて行くのには役に立つということをエールとして送りたい。

前を向く、弱いもの同志の連携が、地方においては求められている。

(滑田 崇志)

杜春会ミニ通信 寄稿文を一部修正しました。

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