地震後一週間のメモ 2

●3月14日(月)
きらら289のバイオマスボイラー工事について、オヤマダエンジニアリングに連絡。電話中にも余震がくる。オヤマダエンジニアリングのお客様にも被害があり対応に追われているようである。

●3月15日(火)
この日の夜、芳賀沼・田中が、東北大学の坂口さんとともに仙台に移動。昼間に携行缶にガソリンをもらい往復分を確保する。東京ー針生で通常3.5時間程度 のところを8時間以上かけて針生に到着。その後お米等をお渡しして、山形回りで仙台に入った。原発の放射能等の問題があり、移動中も心配であった。

●3月16日(水)
芳賀沼、田中は仙台。I邸、都市計画の家2、K邸近江先生宅を、午前中に回り、また午後に戻るようになった。詳しくはまた芳賀沼のレポートで。
応急危険度判定の要請の電話が南会津建設事務所の村井さんよりあり、18日に向かう事にする。

●3月17日(木) 天栄村へ
滑田、天栄村の湯本地区に向かう。古い茅葺き民家の方からの電話であり、一部材料がずれていたが大きな問題では無いことを伝える。角部分を中心に内部の漆喰が割れて いるところがあり。
これらは、構造上の問題ではなく、地震時に内壁材が動いた事によるひび割れです。RC(鉄筋コンクリート造)の場合、壁にひびが入ると構造上の問題のがある事が多いのですが、木造の場合は、荷重を受けていない部分なので応急的な心配をする必要はありません。
宿泊のお客さんは、地震の影響で全く来ていないとのことであった。

●3月18日(金) 応急危険度判定
応急危険度判定のお手伝いとして、南会津町から福島県中島村に向かう。県の佐竹さんをサポートし、25、6棟の建物を歩いて回る。中島村全体では500棟以上あるようで、外観のみの検査である。外観は、全く無傷でも内部で大きく被害の出ているところもあった。

鉄骨造の基礎も割れているものが見受けられた。


20人近くの人が参加していた。この日は、風の流れがよく、放射能もそれほど来ていないようだった。
重い瓦屋根の住宅が顕著に瓦を傷めている。地域でみられる耐震上の問題について、建築設計者と大工さんがうまく組めないものかと思う。また工場等の鉄骨造においても、天井材などの2次部材が落下している事例も見られた。震度が大きくない場所でも被害の起き易いようである。

●3月20日(日) 東京へ
開通した東北新幹線で那須塩原から東京まで向かう。斎藤は名古屋に一旦戻ることになった。午後東京で大田区のI様と打合せ。出産がんばってね。
現在、燃料事情があまり良くなく、物流関係も福島では止まっている。被災された施主の方への応急処置後の補修作業が滞りがちになっている。来週始めには、また各メーカーに問い合わせて状況を打開したい。
東京は、節電モードであり、人通りが少なく落ち着いていた。

●3月21日(月)
原子力発電所の影響については、この数ヶ月だけでなく、残留する放射性物質のことを考えると3年以上の長期的な問題になってくるのかもしれない。また浜通りに戻られる方への期間限定の移住プログラムや2地域居住と絡めたシステムの提案やサポートが必要とされるのだろう。被災された方に対してのサポートや、東京と福島に拠点をもつはりゅうウッドスタジオで出来る事についても、もう一度考えてみるようにしたい。

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以上 乱筆乱文申し訳ありません。
地震後、まだご連絡できていないお客様もいます。
もし被災状況等何かありましたら、はりゅうウッドスタジオまでご連絡ください。
はりゅうウッドスタジオ info@haryu.co.jp     0241-65-1001
(文責 滑田)

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