地震後一週間のメモ1

●3月11日(金) 地震初日
11日は地震が起きた日である。私たちのいる風景が全く別なものに替わってしまった日でもあった。
この日、芳賀沼・白鳥は福島県の浜通りでもある福島県富岡町で打ち合わせ中であった。滑田・斎藤は会津若松に向かっていたが、会津若松市内は、ブロック塀が倒れ、病院の機能がストップしており、すぐに南会津に戻るようにする。
この日は、地震の直後から連絡がつかず、津波警報の連絡も芳賀沼にできず、非常に心配になる。
地震直後、芳賀沼・白鳥は2010年秋に竣工したE様邸に向かった。奥様とお子さんがいらして、暖炉の火の処理を手伝った後、会社から戻ってきたE様より津波の心配があるという事で避難。先祖の植えた木で組み上げたE様邸は地震のときはそれほど揺れなかったらしい。しかし、その後E様邸は津波に流されてしまった。
夕方、災害掲示板にてE様ご家族と、芳賀沼・白鳥の無事とを確認できた。命が助かって本当に良かったと思えた瞬間だった。
深夜、大熊町経由で芳賀沼・白鳥が富岡町より針生に戻る。E様ご家族は、避難所にいらっしゃった。
東京の伊藤にもスタジオの無事を連絡。新宿からの歩いての帰宅。
(E様邸のこと、地震のことについては、また芳賀沼より文章をアップします。)

●3月12日(土) 地震2日目 施主の方々への確認
施主の方の無事、被災状況を確認するために連絡をとる。しかし電話が繋がらず連絡がとれない状況。芳賀沼は、東京に戻り、関東方面のお客様へ連絡をとる。芳賀沼製作でも、被災されてた地域を中心に電話をしていた。
郡山方面のT様、S様には、直接針生より見に行くようにする。天栄までの道は、普通車のみ通行でき、道路等も陥没している所がいくつかあった。

土壁が崩れ落ちた蔵

・郡山T様邸
T様邸は、傾斜地の住宅であったが、無事基礎も動いていなかった。郡山市内に入り、T様邸の建物が見えた時には、本当にホッとしました。外壁についても、金属サイディングであったためにひび等の問題はなかった。T様ご家族もご無事でほっとする。郡山が断水しているために針生からの水をお持ちする。内壁の割れや、室外機の移動についてご連絡があり、また燃料の状況や、入荷状況を見て対応させて頂く事にする。その後お子様と奥様は、ご実家に避難されたとの事でした。
・郡山S様邸
同じ市内のS様邸に移動。公会堂前の道が通行止めになっている。S様邸では、建築物自体には大きな構造上の問題はないが、地震時に重い暖炉が動いたということ。そのため煙突が外れていた。一つ間違えれば火事の危険性もあったかもしれない。暖炉は倒れる危険性の少ないものであるが、今回のような周期の横揺れの時には地震時には重い物体が動いてしまい危険であった。火事の危険性からか、できるだけ暖炉についても壁と接触しないように設置しているものも多い。暖炉メーカーとも話し、地震対策についても話してみることにする。また破損した煙突の入荷についてはメドがたたない状況である。S様は、主に暖炉で空調をとっていたために、明日石油ファンヒーターを御持ちするようにした。次の日に芳賀沼製作から、煙突の応急処置について大工さんが訪問することになった。

また、左官仕上げの外壁について継ぎ目部分にひびが入る。木造がしなやかに地震力に対応するために外壁材はどうしても動いてしまう。軸組には問題なく、構造上の問題ではないことを説明する。また防水に対しても、内側の通湿防水シートで行なっているために雨漏れ等の心配はない状態である。下げ振りにて建物の傾きを確認するが問題はなかった。
郡山出発時に芳賀沼製作に明日の作業内容を伝えたいが、公衆電話等も使えず、softbankどうしであれば通じるようなので、メールで要点を伝え、郡山に戻る。途中、須賀川近辺の被害が大きかった。
この日、芳賀沼東京のお施主さん、また茨城の方々にも連絡がとれる。

●3月13日(日)
芳賀沼が富岡町のEさんと連絡。場所を移動されて避難されているとの事。また本日予定していた大田区のI様の打ち合わせを延期させて頂いた。
芳賀沼製作が、郡山方面のお客様の元へ、応急処置に伺っている。S様邸でも暖炉の応急処置をするとともに、当分の間のための石油ファンヒーターと灯油をお持ちした。

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以上 乱筆乱文申し訳ありません。
地震後、まだご連絡できていないお客様もいます。
もし被災状況等何かありましたら、はりゅうウッドスタジオまでご連絡ください。
はりゅうウッドスタジオ info@haryu.co.jp     0241-65-1001
(文責 滑田)

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