南相馬牛河内仮設住宅地の盆踊り

Category スタジオブログ スタジオメモ — @ 2013年8月20日

昨日の南相馬牛河内仮設住宅の写真、地元の人達が自主的にひらいたお祭りの風景、協賛で焼そばや、カキ氷等の屋台も出ていた。
9月末にあいちトリエンナーレの塔の和歌を書いた住民の方々が、宿泊費を個人負担して名古屋に行く話をしにいったのだが、住民達は普段の慎ましやかな生活 の中から予算を考えていた。

早速今日からバス貸切往復分だけは協賛してくれる企業等をあたることにする。

フラダンスを踊るお姉さん達はみんな活き活きとし ていたけど、先の生活が決まらないもどかしさも、ひしひしと伝わってきた。復興に関わる国や県だけでなく、知恵を持ち寄る研究者の方々をはじめ、行き交う 僕等にも責任があると感じた。(芳賀沼整)

 

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唐櫃美術館と豊島の生活

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7月末、唐櫃美術館の展示に追加する材料・機材と生活のための最小限の道具を積んで豊島に向かった。1週間程度の滞在で展示物を整え、地元の住民に混じって運営に参加するためだ。

車で15時間程の道中と1時間程の船の旅はさも海外に来たかのような道のりだが、気候や風土が違う土地に普段生活する南会津のような親近感が湧いていた。島内にコンビニもなく、アパートなどはないが近所に地元の人も良く買いに来るタコ飯屋の屋台や漁師のたこ焼きが食べれる近所の溜まり場がいくつもあり、人々の距離感が近いからかもしれない。

唐櫃地区は唐櫃港のある「唐櫃浜」と豊島美術館(設計:西沢立衛氏)や島キッチン(設計:安部良氏)などがある「唐櫃岡」に分けられ、唐櫃美術館のある唐櫃浜には73世帯142人が暮らす。住民は主に漁業を生業としいる人が多く、今の時期はタコ、蟹等が水揚げされる。豊島内の生業は漁だけでなく、田畑(オリーブ等も)、果樹(レモン・いちご・みかん等)、酪農も行われて、様々な職種の人が島内のあちこちで繋がりがある日常に豊島での生活の豊さを感じていた。

唐櫃美術館はとても大らかな美術館だ。普段、開館は9時過ぎであったり、昼過ぎであったりと漁や農作業等の合間の時間に開かれる。地元住民が交代で店番をしながら、開いていると近所の人が様子を見にきたり、訪れた旅行者と住民が一緒にお茶を飲みをするようなそんな美術館だ。

唐櫃での滞在中は瀬戸内国際芸術祭の期間内と云うこともあり、様々な人に展示や震災以降の活動を知ってもらいたい気持ちで、8時過ぎから準備を始め、いつでも誰でも見にこれるように心がけた。

朝開けておくと、地元の方が顔を見せてくれる。日中はたくさんの人が訪れるのを気にしてあまり寄らない人が「調子はどう?今日も暑いね!」、夕方も他の美術館が閉まっても少し遅くまであけておくと「今日はたくさん来た?」などと声を掛けてもらいながら立ち話をしたりと、特に朝夕は地元の人のと交流の場にもなる美術館であることを改めて実感しながら過ごしていた。

現在唐櫃美術館での展示は福島での震災以降の活動を伝えるために震災以降福島県で生まれた木造仮設の建設から日常までを追った藤塚光政氏の写真展示「木造仮設住宅群-3.11からはじまったある建築の記録-」と東北大学の五十嵐太郎氏のプロデュースと共に仮設住宅地で生まれた彦坂尚嘉による「FUKUSHIMA ART」である。「FUKUSHIMA ART」はあいちトリエンナーレ2013にも出展されるため、あいちトリエンナーレのPRを行いながらの展示となっている。

震災以降の活動を直に報告される機会も東北から離れる程少なく、訪れる方の中には「木造の仮設住宅があることをはじめて知った」と云うひとも少なくない。書籍『木造仮設住宅群』撮影記なかで藤塚氏の「〜われわれは広範囲で起きた超大震災と大津波を忘れないために、時折、映像を繰り返し、見なければならないということだ。(中略)平穏な日常の日々は、災害と大災害の狭間にすぎない。われわれはその事を覚悟しておかなければならないだろう。」と云うフレーズは震災後2年を経過した今、改めて活動を伝えることの大切さを考えさせられる。

瀬戸内芸術祭にあわせた9月1日までの夏期間、唐櫃美術館は少しずつ変化していく。展示に対する解説やPRチラシなどが少しずつ追加されたり、運営に係る様々な人々によって手が加えられていく。

唐櫃美術館は、日々、島を訪れる様々な人々、島民を大らかに受け入れる「溜まり場」「休憩所」「憩いの場」のような場所であり、人の繋がりを通して常に発信し続ける活きた美術館であるのかもしれない。

(文・写真:早川 真介)

 

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スタジオコラム 瀬戸内で福島を伝える

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現在僕は南会津町民 だけど、高校まで過ごしたのは、瀬戸内海に面する香川県というところだった。ハウスメーカーの技術職に就く父の転勤の関係で、仙台で高校、大学と過ごし、 卒業後直ぐに南会津に移り住んだ。震災の前の年の2010年夏に、そんな香川県の豊島での仕事をする機会が巡ってきた。豊島は関西から持ち込まれた産業廃 棄物による汚染があったことも小さな頃のニュースで知っていた。車で行くと950kmもある離れた場所での仕事は、3年に一度ずつ開催される「瀬戸内芸術祭」に参加する事だった。東北大学の研究室の先輩でもあり、現在は大阪芸術大学で教職に就く、加治大輔先生からの協働の誘いに応えてもので、使われなくなった小さな海苔小屋の改築の実施設計と直接発注方式による施工管理が仕事の中身だった。作品自体は芸大の先生が作る映像と音楽を、直島、犬島、小豆島、 豊島、等の瀬戸内の島々を連想させる弾力のある床面に映しだし、そこに寝っ転がってそれらを体験するというシンプルなものだったが、多い時には一日で 500人もの人が施設を訪れた。
そして3年経った今年、その海苔小屋の家主や周辺の島の住民からの要望もあり、加治先生、日本大学工学部浦部先生、東北大学五十嵐先生に協力を仰ぎ、島の住民が運営する無料休憩所と震災以降の福島の現状を伝えるためのパネルと仮 設住宅をドキュメンタリーとして撮った藤塚光政さんの写真展示による活動を計画した。期間は夏期と秋期だけのオープンだけど、無料休憩所で島民と一緒の生活をしながら、事務所のメンバーと浦部研究室の学生が、海苔小屋での寝泊まりをするという地道な方法となった。
瀬戸内芸術祭を訪れる人々は様々だが、島を離れたことがない高齢者の方々にとっては、今の東北の現実を見ることは感慨深いものであるようだった。島の人々 は人懐っこく、獲ってきたばかりのタコを切って出してくれたり、小さな自家用船で近くの島々を案内してくれたりしてくれる。今暮らしている南会津町針生で の生活と重なる風景だ。若い人はどんどん土地を離れて行くために子供は少なく、量産する大手のメーカーの家等は皆無で、焼杉の仕上げや、コールタールを 塗った杉の下見板貼りの家が目に付く。空家はこれからもどんどん増える事は予測でき、過疎の現実は日本中共通のテーマである事を実感する。
テレビが普及し、ローカル範囲の共通項が流行するのではなく、いつの間にか全国的展開をする商品だけがスタンダードな認識とされて、そこに定着してゆく。 今僕らが考える原風景は、高齢者だけが生活する、途絶えようとする過疎の生活の中にしか見えてこないのだ。新しい事や、都会と同じものだけに魅力を感じる のではなく、本当の意味での風土性や地方色を考える時期は、既に取り戻せなくなってしまったのかもしれない。

(文 滑田崇志 写真 早川真介)

 

 

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